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「10年間アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人」――前代未聞の経歴を持つ男が、非行に走る若者の悩み相談に乗っている。井上ケイさん(52)は、ヤクザだった29歳のとき、ハワイでFBIに捕まり、10年以上、米刑務所で過ごした。ヤクザと縁を切ったケイさんは、「親に捨てられ、行き場を失った子どもたちの悲痛の叫びは誰が受け止めるのか」と訴える。(オルタナS副編集長=池田真隆)

もうコートが手放せない季節、冬に飲みたいお酒といえば、やはり日本酒。 とくとくとくっと、おちょこやグラスに注ぎ、キュッと一杯なんて最高です。 今、そんな日本酒に目がない日本酒通を唸らせているのが、「獺祭(だっさい)」という純米酒です。 「酔うため、売るための酒ではなく、味わう酒を求めて」いると宣言している蔵元のこだわりが生んだ獺祭は、今大変な入手困難となっています。 公式のオンラインショップでは「商品のお届けまでに約2ヶ月かかっております」という、無慈悲な言葉が……おまけにお値段も結構するし……。今、今飲みたいのに! そんな悲痛な叫びをあげていた筆者に、救いの手が差し伸べられました。 なんと、そんな獺祭が飲み放題のお店があるというではないですか。

10歳の少女の日常生活を思い浮かべてみてください。 ランドセルを背負って小学校へ通い、授業を受けて友達とおしゃべりしながら帰宅。 友達とシール交換をしたり、可愛い色のペンをたくさん集めたり。 「今日は塾の日だから憂鬱だなぁ。でも先生のことは嫌いじゃないなぁ」 「将来の夢はAKB48に入ること!」 なんて。 日本ではそういう風に過ごす女の子がきっとたくさんいるはずです。 でも、世の中には、そんなのん気で素敵な子供時代を過ごせない少女たちも、確かに存在するのです。 今日は日常を奪われた奴隷とでも言うべき、ネパールの少女労働「カムラリ」についてお話します。

タレントのマツコ・デラックスさんが差別や偏見に対する持論を展開した。差別の根っこには、異なるものに対する「恐怖心」があり、「差別はいけない」と理屈では分かっていても、その恐れが勝ってしまうものと話した。自分たちよりも劣っている集団を見つけては差別するという、「マイノリティがマイノリティを差別する」構造があると言う。(オルタナS副編集長=池田 真隆) マツコ・デラックスさんへのインタビューは、日本財団が主催する「THINK NOW ハンセン病」キャンペーンの一環で行われた。同キャンペーンでは1月25日の「世界ハンセン病の日」に向けて、同病への正しい理解を呼びかけている。日野原重明氏やダライ・ラマ14世、ゆるキャラのくまモン、横綱の白鵬関ら数多くの著名人が無償で協力し、メッセージ動画を掲載している。 ハンセン病は、かつて「らい病」とも言われ、皮膚に発疹ができたり、身体に変形をもたらす感染症として、人類から恐れられてきた。同病への薬は1980年代に開発され、それ以降無償提供されだし、医学的には解決の方向に進んでいる。しかし、回復者は家族と絶縁したままで、本名を名乗ることにも抵抗があり、社会から遠ざけられた暮らしを強いられている。手や腕が変形している見た目から、そして、政府の長期にわたる隔離政策もあり、誤った認識が根付いたままだ。 同キャンペーンにマツコ・デラックスさんが協力したのは、2回目。キャンペーンが始まったのが2014年12月1日で、マツコ・デラックスさんは12月上旬にいち早くメッセージ動画を寄せた。そのとき、「ハンセン病はさまざまな偏見や差別の縮図」とコメントし、話題を集めた。そこで1月中旬に改めて時間をつくってもらい、差別に対する考えを聞いた。 インタビューの冒頭、人を差別する行為の根っこには「恐怖心」があると発言。恐しく思う原因は、未知のものを、「理解できない」と断定してしまうことにあるという。「容姿でも思想でも、理解できないことを理解しようとすることもなく、理解できないままにしておくから恐怖を抱いてしまうのだろう」。 そして、「マイノリティがマイノリティを差別する」構造を指摘した。明治6年から政府の隔離政策は始まったが、その当時、ハンセン病患者は物乞いとして生きており、「遍奴」と見下されていた。しかし、病気を発症していなくても、貧困に喘いでいた人たちはいたはずで、その人たちも何らかの偏見は受けていたとし、「自分たちよりも劣った人たちを見つけて、自己を正当化する」構造が新たな差別を生み出すことになったと話した。 ここから話は、現代の若者にも及んだ。ネットの普及で、胸に秘めていた思いを簡単に発信できるようになったと言い、「未来に希望が持てない・虐げられている」と思っている若者が自己を正当化するため、(差別する)標的をつくってしまうのではないかと不安を示した。 取材の最後に、日本は戦後からの成長を遂げ、豊かな暮らしができるようになったが、「差別がない世の中などいままでになかった」と振り返り、ハンセン病問題を考えるため、ゆっくりと言葉を振り絞り、力強いメッセージを語った。 「理解しようとも思わないことが攻撃につながる。ハンセン病の問題がなんとなく収まったからといってうやむやにしてはならない。改めてハンセン病が差別の対象となった背景、悲惨な状況が生まれ、被害にあった人たちがいることを知ることが大切だと思う。無知であることが結果的に差別という発想につながってしまうことを、改めて考える時期に来ている」

●国際空港でおきた爆発事件 去年(2013年)7月20日午後6時過ぎ。北京首都国際空港の到着ロビーに、車椅子の男が現れた。左手には袋のようなものを持っていた。 異状に気づいた警察官が近寄ると、男は何かを叫びながら、両手を挙げ周囲の人を追い払うような仕草をした。警察官が男に向かってさらに歩みを進める。すると、突然、男の左手から火花とともに爆音が起こった。辺り一面は煙幕で視界が遮られた。爆発は1回きり。男は、自ら起こした爆発の衝撃によって車椅子ごとなぎ倒され、その場で取り押さえられた。 男は、命を取り留めたが、左の上腕部から先を失った。警察官1人がけがをした。爆発による旅行客らへの被害はなく、死者も出なかった。とはいえ、治安維持に面子をかける中国の空の玄関で起きた爆発事件。共産党を狙ったテロか?と国内外に緊張が走った。 ●被告、冀中星 男の名は、冀中星(当時33歳、以下、冀)。山東省の農村出身。無差別に公衆を狙ったかのように見えた爆弾事件は、およそ2か月後の初公判が開かれる頃には奇妙な様相を見せ始めた。 9月17日の初公判当日。警察車両に先導されて、救急車のような医療用車両が北京市内の裁判所に到着した。冀は、その医療用車両からストレッチャーに乗せられたまま、警察官らの手を借りて入廷した。 午前9時という早い開廷時間だったにも関わらず、裁判所前には、冀に同情を示す市民たちが集まった。彼らは、混乱を防ごうとする警察官に囲まれながらも「冀は無罪!」などと大声で叫び続けた。集まったメディアに対し、人々は、自分たちも警察の捜査や土地の開発業者によって不当な扱いを受けていると訴えた。 ●事件前に書かれたブログ 空港で手製爆弾を爆発させた冀が、事件前にブログを記していたことが明らかになった。それによれば、事の始まりは2005年に遡る。当時、冀は、南部の広東省に出稼ぎに出ており、バイクタクシーで生計を立てていた。ある日、客を乗せて走っていたところ、パトカーに追いかけられた。冀は、停止せず走り続けたが、待ち伏していた治安要員に殴り倒され、暴行を受け、その結果半身付随にされた、という。 治安要員とは、警察の捜査や警備など手伝う補助組織だ。冀は、地元政府に陳情に行き、この事件を捜査してくれるよう頼み込むが聞き入れてもらえなかった。また、地元政府に対し、損害賠償の裁判を起こすが、冀が殴られたとする証拠は不十分として、認めてもらえなかった、という。 ブログには、冀が色白でひ弱そうに見える肉体を晒し、痣か床ずれなのか、臀部や脚にできた大きな赤い爛れがよくわかる写真も掲載されていた。その内容は中国の一部メディアでも報道された。裁判に集まった人たちは、冀が爆発事件を起こしたのは、自分の健康な体を奪った暴行事件の事実を明るみに出したかったからなのだ、と理解したのだ。 ●冀の実家を訪ねる しかし裁判では、彼の主張は判決には反映されなかった。そして一か月足らずの審理を経た一審判決は懲役6年。さらにその一か月余り後に言い渡された上訴審でも一審の判決が支持された。中国は二審制だ。冀の懲役6年の実刑判決は確定した。 私は、山東省の農村にある冀の実家を訪ねた。一審判決の出た8日後のことだった。実家には父、62歳の冀太栄(以下、太栄)がいた。太栄は、私の姿を見ると、「6年の刑なんて・・・。下半身も感覚がなく、耳も聞こえなくなったのに」と、おいおいと泣き崩れた。太栄は、息子は家で動くこともできず、その無念を晴らしに行ったのだ、と涙ながらに訴えた。 「体は床ずれだらけ。殴られてそうなったのに。この7、8年、誰も無念を晴らしてくれなかった」。 実家の庭には、母屋とは別に白いプレハブがあった。赤茶けた土地の埃っぽい農村には不釣り合いな仮設住居のようにも見える。少し高くなった入り口と、庭のむき出し土の表面とを、セメントを流して作ったスロープが繋いでいる。半身不随となって実家に戻ってきた息子のために、太栄氏が建てた部屋という。 部屋の中は、長方形の会議室くらいのスペース。ベッドと麻雀卓、乗り手のいなくなった車椅子が目に入った。ベッドには、綿のはみ出た布団。床ずれの膿みが至る所に染みていた。 太栄によれば、冀は、窓際に置かれたベッドに横になり、コンピューターでゲームをして過ごす時間が多かったという。おそらく、この窓際に横になりながらブログを綴り、自ら窮状を外の世界に訴えようとしたのだろう。彼のコンピューターは警察にすでに押収されて今は無く、電話線と電源を引く為の延長コードがだらりと床に落ちていた。   冀は聡明な子供だった、と太栄氏は言う。しかし、半身不随となって、実家に戻ってからは、塞ぎこむことも多かったようだ。 「あんなに若いのに、走ることもできない。イライラしないはずはない。機嫌が悪い時には、私と言い争いになり、私が話を聞かないで出てってしまうと、ここで、一人で泣いていました」 しかし、冀は父との争いは努めて避けていたという。 「私が食事も作ってあげなければいけないし、水も汲んでやらなくてはいけないし、便も出してやらなければならないから」 冀には、結婚を考えたガールフレンドがいた。しかし、冀が半身付随になったことを知って、離れていってしまった、という。   太栄は、息子が密かに爆弾を作っていたことなど、思いもよらなかったという。しかし、冀が言った言葉を今も覚えている。 「自分が家にいなければ、(父さんが)自分を押して行く必要がない」。 太栄は「どうやってお前が、家からいなくなることができるのだ」と言葉を返した。そのやり取りは、冀が車椅子で北京に向かい爆発事件を起こす数日前だったという。 (後編に続く) アイ・アジアのHPにて、中国で起きている問題を他にも連載していますのでご覧下さい。

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今の混沌とした世の中にこそ、闇を照らして真相に迫る報道機関の存在が重要だと考え、調査報道のための非営利団体「アイ・アジア」を設立しました。志を同じくする世界のジャーナリスト、研究者、市民と連携して取材・調査を行い、一条の光となって、市民社会にとって有益な情報を発信していきます。また、取材によって得た情報を開示することにも努め、他のメディアがそれを利用できるような環境の整備にも取り組みます。

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