常識を疑え。結婚は恋愛ありきか。「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」
「結婚はしたいけど、今の相手が最適だとは思えないなぁ。好きは好きだけど、恋人としての好きであって、結婚相手としては考えられない」
なんてリアルな話を聞くことが多い、アラサー女の私です。
「結婚」に「恋愛」はつきものであって、「恋愛」を経て「結婚」するのが当然でありそれは幸せなことである……。
さて、その考えって本当?
今回は現代の私たちに揺さぶりをかけるかもしれない、今まで当然だと思っていたけれど実は疑わしい「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」の話です。
【「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」とは?】
「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」とは、結婚の動機として恋愛を据えるという考え方のことです。
特定の一人と恋愛をして、性的な関係を結び、結婚まで至る。
「ん? それのどこがおかしいことなの?」
と思ってしまうぐらいに、あたかも当然のことのように現代に浸透しています。
ですが、たとえばかつて平安貴族は、正妻に加えてたくさんの側室とも婚姻関係を結んでいました。
また、江戸時代の婚姻は、人の紹介を通じてや親の決めた許嫁と結婚するほうがむしろ多数派であり、恋愛結婚は「くっつきあい」などと言われる少数派でした。
そして、つい何十年か前までは、世継ぎを残すために、男性が家族の了承のもとに(むしろ時には家族が主導して)正妻の他に若い妾を囲うことも普通でした。
この頃はまだ、完全な「一夫一妻制」ではなかったからです。
しかし、近代になってから、この「一夫一妻制」が始まり、婚姻関係のない恋愛やセックスを悪だとするロマンチック・ラブ・イデオロギーが生まれました(正確には、西欧から日本に明治期に輸入されたのです)。
日本でロマンチック・ラブ・イデオロギーが浸透し、恋愛結婚がお見合い結婚の構成比を抜くのは1960年代後半のことです。
恋愛結婚が最近になって支持されたものだということが、よくわかりますね。
(ロマンチック・ラブ・イデオロギーは、「恋愛・性交・結婚の三位一体の制度」とも言われ、フェミニズムの流れで語られる事が多いですが、今回は割愛します。)
【ロマンチック・ラブ・イデオロギーの前では、不倫は悪だが……?】
ロマンチック・ラブ・イデオロギーが常識とされる社会では、
「恋人としては良いけど、結婚相手としてはイマイチ。逆に結婚相手としては良いけど、恋愛相手としてはイマイチ」
という相手との関係は、どちらかを切らなくていけないということになります。
「結婚相手としてふさわしい相手と結婚し、恋愛は恋愛にふさわしい相手と継続する」
ということはしてはいけないことになっていて、それをやってしまった人は、法的にも倫理的にも問題ありとみなされます。
でも実は、これって「一夫一妻制」を壊さないための政治的な縛りを破ったことが糾弾の対象になっているんです。
平安時代の婚姻外のセックスは悪いことじゃなかったのに、今は悪いことになってしまうのは、現代の政治的なシステムが一夫一妻制をもとに成り立っているからに他なりません。
【最後にーー私達の「常識」を疑え】
筆者は、ロマンチック・ラブ・イデオロギーそのものというか、「恋愛の末に結婚に至ること」が悪いことだとは思いません。
ましてや不倫を推奨しているわけでも決してありません。
しかし、私達が常識だと思い込まされていることが、時になんらかの意図によって作り上げられたものである可能性があることを、多くの人に知っていただきたいと考えています。