【音読禁止の詩!】『トミノの地獄』と四方田犬彦
世界中に本当によくある、「怖い話」「不思議な話」、あるいは「都市伝説」なんて呼ばれるもの。
人間はその好奇心から、そのような物語を好んで知りたがるものです。
特に近年ではインターネットの発達によって、いくらでもその手の話を知ることができるようになりました。
そのような物語の一つに、「この詩を朗読したら凶事が起こる」と言われているエピソードがあります。
声に出して読んだ者に不幸が訪れると言われるその詩は、西条八十の「トミノの地獄」。
【「トミノの地獄」の作者は、「青い山脈」の主題歌の作詞で有名な西条八十】
movie by https://www.youtube.com/「トミノの地獄」を書いたのは、詩人、作詞家であり、フランス文学者の顔も持っていた西条八十です。
自らの書いた童謡詞を「赤い鳥」という児童文学雑誌に発表し、北原白秋とも並び称されました。
石坂洋次郎原作の「青い山脈」という映画で、同名の主題歌の作詞を担当したのも彼(絶対どこかで聴いたことあるはず……詳しくは動画を御覧ください)。
また、金子みすゞは今もファンの多い詩人ですが、彼女を最初に見出したのも西条八十だったと言われています。
まぁ西条八十はそういう人なのですが、彼がまだ26歳という若かりし頃に発表したのが、曰くつきの「トミノの地獄」なんですね。
【これが「トミノの地獄」の全文だ!音のリズムは良いけど音読禁止】
「トミノの地獄」を読むと良くないことが起きる――それは歌人・劇作家として有名な、寺山修司の死に関係しているとか。
寺山修司が、この死を音読し、しばらくしてから亡くなった、ということらしいのですが……。
とにかく四の五の言わずに、「トミノの地獄」を全編載せましょう。
「姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは宝玉を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総が気にかかる。
叩けや叩けやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯に。
皮の嚢にゃいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。
春が来て候林に谿に、くらい地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にゃ羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に妹恋しと声かぎり。
啼けば反響が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山の留針を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。」
内容の解釈は幅広くできるようになっていますが、「赤い留め針」が「千人針」を連想させるなど、戦争に関するものではないかといった読みが多数派のようです。
頭のなかで朗読してみるとよくわかるのですが、韻が良いのでついつい口ずさんでみたくなるのですよ……あぶないあぶない。
【「トミノの地獄を音読すると良くないことが起きる」の真相は?】
しかし実はこの「『トミノの地獄』を音読すると良くないことが起きる」というエピソードは、例の寺山修司の死云々を含め、出自がはっきりしているのです。
学者の四方田犬彦氏が発表した評集、『心は転がる石のように』の中で以下のように書かれています。
「今日は、こないだ予告したように、絶対に声に出して読んではいけないと、長い間いわれてきた一編の詩を紹介することにしよう。ただ黙って字面だけを追い、意味を了解するのならかまわないが、万が一にも朗読などしてしまうと、あとで取り返しのつかない恐ろしいことが生じるという、かの有名な童謡? のことである。今までその掟を破った人に寺山修司がいた。彼はそれからしばらくして、46歳で死んでしまった。」
「こないだ予告したように」とあることからもわかりますが、四方田氏はなんの前触れもなく「トミノの地獄」を紹介したのではありません。
ある流れの中で「絶対に声に出して読んではいけない」文章として、「トミノの地獄」を挙げているにすぎないんですね。
かつて『声に出して読みたい日本語』という本が大ヒットしたことを、憶えておいでの方も多いでしょう。
四方田氏は、この本から「素敵な日本語の名文を読むことで、日本文化は向上する」といった意図を読み取り、これをナショナリズムの一形態ではないかと考えたのです。
そしてその後、『声に出して読みたい日本語』のパロディである『こっそりと読みたい禁断の日本語』という本を絶賛しています。
『こっそりと読みたい禁断の日本語』は、明治期の小説に登場する罵倒語、性的に下品な言葉が乱立するソーラン節の歌詞などが収録されている本。
ナショナリズムを内包している名文ではなく、庶民の文化記録としての、時に下世話な日本語のほうがいっそ魅力的なものである、と四方田氏は捉えたのでしょう。
【「トミノの地獄」のエピソードは、ソフトなナショナリズムへの四方田犬彦の批判だったのかも】
「『トミノの地獄』は呪われた詩である」、というエピソードも、四方田氏自身が『声に出して読みたい日本語』へのアンチテーゼとして、勝手に創作したものという可能性があります。
というのも、四方田氏は「トミノの地獄」を紹介した後、文章を以下のように結んでいるのです。
「重ねて忠告しておこう。この詩は絶対に声に出して読んではいけない。さあ、みんなに教えてあげよう!」
「朗読」「音読」といった言葉ではなくて「声に出して」といった表現をしていることからもわかる通り、やはり先の『声に出して読みたい日本語』が四方田氏の念頭にあることは明らかです。
「トミノの地獄」はリズムが良く、ついつい口ずさんでしまいたくなるということは、先ほども申し上げたとおり。
その詩を「さあ、みんなに教えてあげよう!」ですから、まるで「何かの文章を声に出して読むかどうかは、それぞれの人間が決めるもの」とでも指摘しているみたいではないですか!
「この文をぜひ読め」と言う『声に出して読みたい日本語』。
それに対し四方田氏は、あえて「この文を絶対に読むな」と言うことで、『声に出して読みたい日本語』に違和感があることを、読者に気づかせようとしたと考えられます。
「トミノの地獄」のエピソードは、ソフトなナショナリズムへの四方田犬彦の批判だったのかもしれません。
そう考えると件の詩が、戦争を題材にしていると言われていることも、大いに関係している気にさせられますね。
【最後に】
『心は転がる石のように』は2004年に、一方「トミノの地獄」が収録されている詩集『砂金』は1919年に刊行されました。
曰くの真相は、85年もの時を経て、「トミノの地獄を音読すると良くないことが起きる」というエピソードが付与され、近年注目されているということに過ぎないのでしょう。
それも、当初の四方田犬彦氏の意図からは、大きく外れてしまっている。
とは言え、やはり実際に音読してみようとするのはちょっと怖い、けどね。